障害者支援の現場で日々格闘する30代のNPO法人代表。現場の問題を解決していくため、現場の声を届けるこの対話、本シリーズの第一回、障害者支援をしたいと思ったきっかけについて。

話し手:齊藤直(さいとうなお)
特定非営利活動法人アダプティブワールド理事長

話し手:木村よしお(参議院議員)
参議院議員。元厚生労働副大臣。年金、医療など社会保障のエキスパートとして、よりよく暮らせる社会のために活動を続けている。参議院厚生労働委員会委員、参議院行政監視委員会理事、参議院政府開発援助等に関する(ODA)特別委員会理事。

ナビゲーター・コーディネーター:浅見 直輝(最前線で活動し社会を変えていく青年)

障害者支援の実態

■障害者支援をしたいと思ったきっかけ

浅見直輝:今日はよろしくお願いします。さっそくなんですけれども、今日の「ともすもと」というメディアの説明と、どうしてこういう活動を始めたのかというところから、話させていただければと思います。その後、お2人に質問をさせていただきますので、よろしくお願いします。まずこの、ともすもと、小さな声を既読スルーしない社会を作るというメディアなんですけれども、木村先生がこれまで30年ほどずっと国政に関わっていらっしゃって、その中で木村先生が会合を開く時に、例えば1つ僕が衝撃を受けたのが、全国から車椅子の方々が300人くらい集まったりするんですね。車椅子の方って北海道とか飛行機を使わないといけない、交通の便はかなり大変なんですけれども、それでも木村先生の下にいろんな人たちが集まってくる。それは木村先生がその現場の声をどんどん役人の方々だったり、視聴者にぶつけていって、制度改革をし続けてきたっていうところがあります。というので、もっといろんな分野の活動をされている方の現場にある声だったり想いだったり、そういうものをもっと光を当てていって、木村先生のご経験とその声を掛け合わせて何か、できるんじゃないか、というところで、この「ともすもと」というものが始まりました。今回はテーマが「障害×スポーツが秘める可能性」、今日お越しいただいている齊藤直さんが、約10年以上ですよね?

齊藤直:15年ぐらい。

浅見直輝:15年ぐらい障害者支援、特にスポーツに関わる支援をされているNPOを営まれていまして、なので今日はそのテーマで話をできればなと思います。早速ちょっと齊藤さんに質問をさせていただきたいんですけれども、そもそも齊藤さんが障害であったりスポーツというところに関心を持たれた最初のきっかけだったり過去の原体験みたいなところをちょっとお伺いさせていただければなと。

齊藤直:私、日本体育大学という体育大学に在籍してまして、その時にゼミというのを選ぶことになったんですね。ゼミを選ぶ時に、僕のいた大学は、撮影している中でそういうことを言っていいのかどうか分からないんですけど、不思議な大学で、なんで私がメダルを取ったかっていうのを半期に渡って延々と説明する先生と、学会発表している先生と、たいてい2つに分かれる。ゼミを選ぶ時に、どうせだったら学会発表している先生を選ぼうと思ったら、その先生がたまたま障害者スポーツ研究ゼミというのをやっていまして。私は障害者スポーツというものにも、全然興味がなく、指導にも興味がなかったんですけれど、そういう場所に身を置かないと勉強しないので、2年ぐらいいいだろうと思って入ったのが、きっかけです。障害者スポーツというものを、そこで初めて経験したんですけれど、興味がない中で毎年春に全国障害者スポーツ大会の予選会というのが各地で行われるんですね。その予選会がある中で僕たちが日本体育大学の障害者スポーツ研究室のボランティアとして行くんですけれども、興味がない割にも、どういう仕事が待っているのかワクワクしていたんですね。そうしたら僕を待っていたのが駐車場係という、すごくつまらない。2人1組でやるんですけども、僕のパートナーが引退したおじいちゃんだったんですね。僕、当時19歳で、全く会話も弾まず、障害のある子も見ず、スポーツ大会も見ないで、2日間日焼けだけして帰ってくるというのを経験して、もうこの活動は僕できないなと思って、あまりゼミの活動にも出なかったんです。そんな中、先生が僕を見放さずにいてくれて、専門がスキーなんですけれども、「お前、障害のある子にスキーを教えるのは興味があるか」と言われて、「もちろんあります」と言った時に、「アメリカに行くと障害のある人にスキーを教える資格が取れる所があるんだけれども、それに行くか」と。

浅見直輝:指導者としての資格?

齊藤直:そうですね。それにはすごい興味があったんですね。もう1つ興味があったのが、アメリカでスキーをしたことがなかったので、僕もそこに行ったんですね。

木村よしお:旅費は誰が出したの?

齊藤直:全部自分たちです。全部自分たちで出していきまして、そうしたら、当時自分が専門としていたスキーで、すぐに実践できるスキーと、まだまだ勉強とかトレーニングを重ねなければできないスキーがそこにあって、ずっと体育をしてきた人間にとって、もっと学ばなければできない指導がそこにあると、すごくワクワクしたんですね。それでその障害のある人たちのスキーの勉強から始めて、障害のある子たちのスポーツ領域というのにどんどん入って行ったんです。大学3年の冬にそれ行きまして、僕スキーのクラブチームでそのままやっていこうと思っていたので、就職活動をしなかったんですね。大学4年の時に今度は就職活動しないので、この時間を使ってサマープログラムを勉強しに行こうと思って、もう一度アメリカに行きまして。

浅見直輝:サマープログラムというのは?

齊藤直:例えば障害のある子のラフティングですとか、乗馬のプログラム、キャンプのプログラム、自転車のプログラム、そういうのを勉強しに行ったんですね。これを勉強しに行って帰ってくる3日前に、9.11の、ビルに飛行機が突っ込む。が、ありまして、帰って来れませんで、帰って来れない中でどうしようかと思った時に、お金もないわけです。だから、どうしようかと思った時に、僕たちをコーディネートしてくれた人たちが、田舎町のお金持ちを紹介してくれたんですね。 お金くれるのかなと思ったら、ペンキ塗れって言われて。田舎のお金持ちの家って、どこまで壁が続いているか分からないぐらい、壁が続いているんです。毎日ペンキ塗って、毎日100ドルずつもらってみんなで暮らしていたんですけど、そんな中で暇だから来いよって言われたイベントがあって、それはゴルフコンペのイベントだったんですね。僕たちの仕事はコースの途中で皆さんプレイヤーが来たらカクテル作って渡すみたいな、チップもらうみたいな仕事だったんですけど。何やっているかよく分かんないで1日やって、終わってみたら最後シークレットオークションがそこでありまして。何でこんなオークションやってるのかなって行った時に質問したら、「今日お前たちが手伝ってくれたこのゴルフのイベントは全部お金集めのイベント、ファンドレイジングのイベントで、皆、参加費を払ってここに来ているんだけど、その参加費は全てこの主催のNPO法人に入る」と。「このオークションの売上金も全部NPO法人に入って、このお金を使ってこのNPO法人は1年間、障害のある子たちにスポーツを教えていくんだよ」ということを聞いて、この制度は面白いと思ったんですね。こういうことを日本でやりたいと思って帰ってきて、就職先をそこから探してみたんです。そしたらなかったんですね。なかったのでどうしようかと思った時に、そうだ、と思って大学の恩師に聞いてみたら、いやないんだと。「ないから、お前たちが勉強したらいいかなと思ってアメリカに行かしたんだよ」って。もっと早く教えてくれよ、みたいな感じだったんですけれども。その中で縁あって日本の障害者スポーツセンターという所に就職したんですけれども、僕たちは障害者スポーツ指導員という名前が付くんですが、やっていることはプールの監視と卓球室の順番整備と、相手してくれって言われた時にキャッチボールの相手をする体育館の仕事だったりするんですね。障害者スポーツをしないんですよ。でも、僕が学生の時に見て経験した全米障害者スポーツセンターという所は、ボランティアさんが1日指導するんですね。指導ができるための育成プログラムもしっかりしていて、僕がいた全米障害者スポーツセンターは20人の専任スタッフと2,000人のボランティアで運営されているんです。こういう構図を見てしまった後に日本の障害者スポーツセンターに行った時に、プロでお金をもらっているのに、こっちは指導はしない。こっちはアメリカのボランティアさんなのに徹底的に教育されて指導している。この人たちはその代わりにリフト券をもらったりするわけなんですけど、それ以外の金銭はもらわないわけですね。このギャップは何なんだと思ったところから、やっぱりアメリカで見た、これを実現したいと思って、何も知識がない時に23歳の時に任意団体で「アダプティブワールド」というのをやって、まず目の見えにくい人たちのロッククライミングの教室から始めました。

浅見直輝:目の見えないのに、ロッククライミング?

齊藤直:はい。これはメジャーなプログラムで、それをやるのに場所も何も知り合いもいないものですから、いない中でもツテをたどっていって、都内でクライミングジムを何店舗か経営している人のところに行って、こういうことがやりたいんですと。何回も何回も断られて、それでもアピールしていたら、じゃあ休みの日に使っていいよと言われて、ありがとうございます、と。これで施設代がタダ。次は道具がないわけですね。この道具借りていいですかって言って、全部の道具を借りて、やってみたんですね。やってみたら大変だったんですけども、何とかできて。でも、この活動を続けていこうと思ったら、障害のある人たちに情報を届けなければいけないわけですね。知ってもらうために何をしなければいけないかと考えたら、ホームページが必要だとかメールマガジンが必要だとか。15、16年前の話ですけど。全くそれをお願いするお金もないので、全部自分たちで作るところから始まった。それがきっかけですね。

木村よしお:根性あるね。

浅見直輝:駐車場から指導者資格から、いろんな。

■障害者支援、指導資格の形骸化

木村よしお:今の話で、指導者資格というね。日本は、これ学校の先生がそうなんです。ここは教え方を教える先生が日本にはいないというのが学校教育の中で最大の課題だと、私は実は前々から思っているんですよ。今はアメリカではそういうプログラムがあって、ちゃんとそういう仕組みができているというと、やっぱり違うなと。何で違うんだろう。

齊藤直:先生がおっしゃるのもまさにそうで、日本にも障害者スポーツ支援の資格に財団法人日本障害者スポーツ協会というところが出している、障害者スポーツ指導員という資格があるんですよ。あるんですけれども、この資格を支えているのがどこまで言っていいか分からないんですけど、大学生なんですね。大学がこういう資格を取れますよとコマーシャルをして、学生を入学させます。1年生は何も分からないまま、そのカリキュラムを取って資格を取る。資格手続きをしてお金を納入する。2年目も分からないから更新をする、3年目も分からないから更新する。4年も分からないから更新する。でも卒業する時に、この資格いらなくね?ってなって、何の役にも立たないので更新しないんですよ。そうすると、大学生がいてくれるからこの資格制度が成り立っているというのが現状で。

浅見直輝:お金を得るため?

齊藤直:そうなんです。 なぜかと言ったら、パラリンピックアスリートを教えている人たちはこの資格がない現役のスキーのコーチだったりとかがなっているわけですね。後付けで取ったりはするんですけど、後付けなんですよ。

木村よしお:資格と実態とが全然違う。

齊藤直:全然違います。僕なんか資格を持ってないんですが、コーチはやらされる、みたいな。「皆さん残念な報告が1つありまして、この資格は何にも意味がありません」と。ただ、ここで学ぶことは皆さんの経験になると思いますので、資格を取った後にぜひ現場に行ってください。ということをお話しする中で、僕たちは現場の提供をしていくわけなんですけれども。

木村よしお:ペーパードライバーみたいなもんなのか。

齊藤直:そうですね。なので資格ありきじゃないんだということは言い続けているんですが、資格効果と言っても良いぐらいの日本なので。

木村よしお:だから知り得るための形式的なもので、ちょっと実態とかけ離れたら意味がないですね。その点は海外は、はっきりしているな。

齊藤直:はっきりしてますね。そのプロという位置付けも明確ですし、それをボランティアでもやろうという人たちの「求めなさ」も重要ですよね。アメリカに行った時にボランティアって何なんだと言った時に、ボランティアという語源をたどっていくと志願兵というところにたどり着くので、自ら望んで戦場に行くので、そこで怪我した、何をしたことに対して文句は言わないわけですよね。ただ行くためのトレーニングは積む。このボランティア精神というのは、日本に僕はないと思っていて。だからこの間も笑い話なんですけれど、 僕たちの現場に指導員が足りなくて、指導者を募集します、出してくださいっていろんな所に電話したんですね。 そうしたら言われたのが、弁当とお茶は出るかと。弁当とお茶を出すお金ないですって言ったら、じゃあ行かせませんと。行くか行かないかは本人が言うならまずいいと思うんですね、でもそういう人たちをとりまとめる協会だとか協議会とかが、そういうルールを敷く必要は、僕はないと思っていますね。

木村よしお:何か肩書きをもらいに行くみたいな形になって。

実態とかけ離れている障害者支援の現場の実態。それについて、次回もさらに深掘りして語って頂きます。